この記事は「オカルトとデジタルではどっちがおすすめなのか」ということをまとめたものです。
先に結論を軽く書いておきます。
2020年現在、一般的に広く受け入れられているプレイスタイルはおそらくデジタルのほうですが、私のおすすめはオカルトです。
デジタルというのは言わば麻雀の表面しか見ていないような考え方だからですが、まだ日の浅い初心者の方が麻雀の基礎をおぼえる上ではデジタルのほうがおすすめです。
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オカルトとデジタルはどちらがおすすめ?
私がおすすめするのは最終的にはオカルトです。
確率論は麻雀の基本ですので、それを重視するのはもちろん当然なのですが・・・
ツキを意識した上で長く麻雀を打っていると、確率なんてそれほど当てにならないということが自然とわかってきます。
確率の低いほうの結果が連続して発生するなんて日常茶飯事ですし、麻雀というゲームはけっして確率通りになんてなりません。
(一部の)デジタル派の言い分である「確率は収束する」というのも本筋からズレていますし、麻雀が上達するためには「確率収束論」はむしろ邪魔になっちゃうんじゃないかなとも思います。
だから結局はオカルトをおすすめするのですが、ツキや流れは確率論よりも難しいので、初心者の方にはおいそれとはおすすめするわけにもいきません。(相性が良い人は話が別)
初心者の方はツキや流れのことは無視して、ひとまずデジタル打ちで確率論による牌効率を重視してみることをおすすめします。
牌効率や確率の考え方を学ぶことで無理やロスが減りますので、少なくともあがれる確率が高まるのは間違いありません。
でもある程度のところまでいったら、デジタル打ちは卒業してツキや流れを意識し始めたほうが良いと思います。
デジタル打ちはすぐに限界が来るからです。
デジタル雀士とオカルト雀士の実力を比較
デジタルとオカルトを比べると、デジタルはオカルトの一面でしかないと言えます。
オカルトなことを言う人はけっしてデジタル打ちができないわけではありません。
その気になればデジタル打ちもできないわけではないけど、もっと有効な打ち方があることを知っているからしないだけです。
・・・と言いたいところですが、実際にはピンキリです。
デジタルを高いレベルで運用できている打ち手はけっこういらっしゃると思いますが、オカルトを高いレベルで運用できているような真に強い打ち手はとても少ないと言えると思います。
デジタル雀士にしろオカルト雀士にしろその中間だろうと同じですが、その実力はピンキリです。
デジタル派プロの言うことを真に受けただけの「にわかデジタル雀士」もいれば、しっかりと勉強してデジタルを極めたような「高レベルデジタル雀士」もいるでしょう。
逆に、オカルト派プロの言うことを真に受けただけの「にわかオカルト雀士」もいれば、かなりのレベルでツキや流れを読んで感覚的にも凄まじいレベルの「高レベルオカルト雀士」もいるでしょう。
中には当たり牌はもちろん裏ドラや次の局のドラまで言い当てるような預言者みたいな人もいらっしゃいます。
証明するにはデータが必要ですが、個人的にはこんな感じの並びなんじゃないかなと今は考えています。
2 中レベルオカルト雀士
3 高レベルデジタル雀士
4 中レベルデジタル雀士
5 低レベル(にわか)デジタル雀士
6 低レベル(にわか)オカルト雀士
まず確率論的なことならば、計算さえすれば答えを導き出せるわけですから、それをしっかりやれば4、極めれば3までは上がれるということになります。
それをやる前からツキだの流れだの言ったって意味ないです。だからにわかオカルト雀士はにわかデジタル雀士にすら劣ります。
2より上に上がるためには、デジタルを極める3ほどの確率論スキルは必要ありませんが、最低限4と同レベルの確率論スキルは必須だと私は思います。
まぁ・・・ゆくゆくはあるにこしたことはないかもしれませんが、デジタルに完全に染まってしまうとオカルトはなかなか頭に入っていきませんのでね(^_^;)
デジタルよりもオカルトのほうが扱う情報量が多い
デジタルは手牌や場況などから確率を計算して正解を導き出そうとするわけですが、オカルトはそれ意外の情報も用いて正解を導き出そうとします。
ツモの流れや前局までの展開、自分のツキ、他人のツキ、アヤ牌など他にも色々な要素がありますが、目にみえていない要素なども含めた上での統計的なセオリーというのを、強いオカルト雀士は独自の経験則として必ず持っています。
「まずはあがりぐせをつける」
とか
「ピンチをうまく乗り切った次の局はいい手が入る」
とか
「ツイていない時はシャボ」
とか
「うまく説明できないけどこの嵌張は必ずツモるよ」
とか
「ここまで無駄ヅモ無いからリーチすれば一発でツモれそうだね」
・・・などなど、科学的根拠のない胡散臭い怪しい理論ではありますが、真面目に確率論で打つのがバカバカしくなるほどハマることがあるんです。
これを頭で考えて理解しようとしても無意味です。
経験則ですから、自分で実際に試して経験した人だけがその答えを得られるものです。
そして1回や2回でその答えを得ることはできません。
デジタル派はこれを試してみようとはしない人達です。
「ツキや流れ」を無いものとして※その手前で確率を計算し、有効だと思えるほうを選択します。
怪しい理論にはまったく耳をかたむけずに手前で常に終わっている状態で、調べようとはしていないわけです。
だから理論上、奥にある答えをまったく知らない人達だと言い切ることができます。
これがデジタルの限界と言ってしまっていいでしょう。
※ツキや流れを無いものと証明できているわけではない。「科学的根拠が無い」として考えようとしていないだけです。目を背けているとも言えます。
デジタルが麻雀の表面しか見ていないというのはそういう意味です。
麻雀において確率というのは表面の浅い部分ですから。
デジタルよりもオカルトのほうが、より深く広く麻雀をとらえているというのだけは間違いないでしょう。
ま、それは事実なんですが、残念ながらオカルトは衰退していると言えます。
オカルトは衰退している
2020年現在、麻雀界の状況をなんとなく見ていると、もっとも人気がある打ち方はデジタルだと思われます。
オカルト派もそれなりにいますが、計算して答えがはっきりと導き出せるわかりやすいデジタルのほうが、若い人達に人気であることは間違いないと思います。
オカルトは本来はアナログであり、デジタルでは表せない部分もカバーするような意味合いもあったと思いますが、それを実戦レベルでキッチリと説明できるような打ち手が,現麻雀プロの中には存在しないと言えるでしょう。
デジタルと比べられると、オカルトはどうしてもフワフワした理論になってしまいますし、そもそも難しい上にとてもわかりにくいです。
だから衰退してしまうのも仕方がないのかもしれません。
デジタルは受け入れられる人が多い
先に述べたように、デジタルはオカルトと比べたら狭く浅い打ち方です。
オカルトと比べたら簡単ではっきりとした答えが出せますから、オカルトのようにフワフワもしません。
そして、これがキモなんですが・・・
プロと呼ばれるような方達がキチンと説明できる範囲はデジタルの部分のみです。オカルトの部分をキッチリと説明できるような人※は残念ながらプロ達の中にはいません。
※可能な範囲で説明を試みているような方はいる。土田浩翔さんなど。
オカルトの部分をキチンと説明できるような人は、今の麻雀界ではおそらく雀鬼こと桜井章一氏ただ1人だけでしょう。でも雀鬼は自分の麻雀をあまり広めようという気がないようです。
というよりは、雀鬼自身が広めようと本気で取り組んだとしても、おそらく無理なんだろうと私は思います。
雀鬼の麻雀(オカルトという言い方は違和感がある。超アナログ?)はあまりにも高レベル過ぎて、ほんのすこしだけでも理解できるという人は限られています。
だから広まるも何も、そもそも絶対数が少ないと言えるでしょう。
一方、デジタルは浅く狭いですが簡単でわかりやすく、とても多くの人が理解できるので受け入れられやすいです。
理解できる人が多いのであれば自然と話題にもなるし、会話が盛り上がることにもなるでしょう。
だから広まりやすいのはデジタルです。
しかしこう考えてみてください。
計算すれば誰もが同じ結論になるということは、多くの人が自然とそういう打ち方になるということです。
では、いったいどうやって周囲の人と差をつけるのでしょうか?
デジタルは誰でもできるとまでは言いませんが、簡単ですからそこまで到達できる人の数も多いです。そして次から次へと下から上がってきてその人数はどんどん増えていきます。
どうやって周囲の人と差をつけて上に上がるんですか?
多くの人が計算さえすれば同じとこまで上がれるんです。
手作り?押し引き?精度?スピード?戦術?読み?
計算すれば有効な選択肢は誰もが似たようなものになるのではないですかな?
それではたいして差はつかないはずです。
これは画一的な思考の打ち手が量産されていくということでもあります。
受け入れられる人が多い簡単なものなので、他と差をつけて頭一つ抜けるためには他に何らかの要素が必要になるとは考えられませんか?
デジタルの天井(限界)はそれほど高位ではないのです。
ですから、たとえ衰退していようが私はオカルトをおすすめいたします。
オカルト打ちは難しい上にフワフワする
オカルト打ちはツキや流れという目に見えないものを読もうとする考え方ですので、どうしても理論としてはフワフワしたものになってしまいます。
しかも要素が多いから非常に難しい。
デジタルの何倍も複雑です。
ですので、オカルト打ちを実践していく上で必要になるのは、頭の良さとかそういうものよりも、まず信念というものが必要になってくると思います。
何しろ科学的根拠なんてまったくなく常に胡散臭いですから(^_^;)
その怪しいものを何度も何度も試して検証していき、経験則としてどうにか使い物になるまでにどれほどの時間や労力が必要になるやら・・・。
しかも、結果というものはどうしたって良いほうへも悪いほうへもバラけるものです。
ほとんど病気とも言えるレベルの執着心というかストーカー気質というか・・・しつこさも必要になるかもしれません。
自分一人で検証しようとするなら、ですけどね・・・(^_^;)
幸いにも我々には雀鬼という凄まじい存在が書いてくださった本などがありますので、ストーカーのようなしつこさは必要ありません。
でも信念やある程度の我慢強さなどは絶対に必要です。
雀鬼の著書を読みつつそれを実践しながらある程度の半荘数を打ってみると、すこしずつ理解が進むはずです。
これは最初から試そうともしないような人には絶対に理解できません。
雀鬼流にイチャモンつけてるような人は入り口にすら入ってないくせに文句つけてるだけです。彼らの言うことを真に受けないでくださいね。ほとんど何も知らない人達なんですから(^_^;)
しかし、フワフワした理論ではそれも仕方がないのかもしれません。
計算ではっきりとした数字が出るデジタルならば、たとえ正解としては間違っていたとしても計算上は問題ないということになります。
「確率の高いほうを選択したけど、たまたま悪い結果になってしまった。」
と言うことができるからです。
オカルトではそうはいきません。
オカルト打ちでは確率の低いほうをあえて選択することも別に珍しくはありません。
それで正解だった場合はちょっとだけドヤ顔(笑)してもいいかもしれませんが、悪い結果になったらもう目も当てられません( ;∀;)
「それ見たことか!」とデジタル派が鬼の首でもとったかのようにつけ込んでくることでしょうw
しかしですねぇ。
これは何度も経験しているからこそ言えることなのですが、確率の低いほうが正解というのは麻雀では別に珍しくないことなんですよ。
オカルトは理論として科学的根拠はなくフワフワしてはいますが、デジタルよりもオカルトが有効な例はそれこそ腐るほどあります。
オカルト理論が常に隙だらけなのは仕方がないことです。多くの人が納得できるであろう科学的な証明をすることができないわけですから、これはどうしようもありません。
オカルト理論を擁護しようにも守る方法はないのです。
あとがき
科学的根拠のないものを積極的に無視するという思考は、たしかに現実的ではあるんだけれども、世の中はそれほど単純ではありません。
不思議なものは存在するし、奇跡のような出来事はいたるところで多く発生しています。
それらの中には科学的な証明が出来ないものも多くありますが、その理由は様々です。
今後、新しい発見などにより科学的証明がなされることもあるだろうし、いつまでも証明されないようなものもあるでしょう。
科学はまだまだ未発達な学問なんです。
現状わかっている範囲のテクノロジーや理論で証明できないからと言って、「そんなことは無い」などということにはならないんですよ。
デジタル派の方々はその部分に目をつむっているでしょ?
「ツキや流れは存在しない、そんなことを考えて打牌を選択するのは愚かなことだ」
そりゃ口で言うのは簡単ですよ。
でもろくに検証もせずに「存在しない」と決めつけているなら、デジタル派が小馬鹿にしているオカルト理論と大差ないはずです。
証明できないのはどちらも同じなんですから。
浅く狭いところで計算上の正解は出せますよ。でもそんなのオカルト派だって当然のようにやってます。
まぁ、未熟なオカルト派の方が付け焼き刃を振り回して自爆していくことも多いみたいですけどね。
自分の受け入れやすいものを受け入れてるだけでは、選択肢は必ず減ります。
今の自分の価値観では受け入れがたいものを試していく勇気が必要です。
試そうとしない人は所詮はそこまでの打ち手ということになります。
こんな深いところまで読んでくださったあなたはどうでしょうね?
すこしは試してみようという気になりましたかな?
もしそうなら私も長々と書いたかいがあったということになります^^
記事をお読み頂きありがとうございました。