確率収束論は麻雀の選択には意味が無い

デジタル派の言い分の一つにこういうのがあります。

「確率は収束する。常に確率の高い方を選択していれば、有効であることがいずれはデータに反映される。」

いわゆる確率収束論というものです。

この記事では「確率収束論を麻雀の選択にあてはめて考えるのはおかしい」という説明をしています。

コイントスと確率収束論

これは麻雀だと複雑なのでまずはシンプルなコイントスで確率収束論を説明しましょう。

コイントスとはコインを投げて表が出るか裏が出るかを言い当てて何かを賭けたりする遊びです。

基本的に結果は「表が出る」と「裏が出る」の2通り※ですので、確率はそれぞれ50%ということになりますよね。

※ここではコインが縦になって「表でも裏でもなかった」レアなケースは除いて考えます。

 

たとえばコインを10回(試算回数)投げてみて結果が以下の通りになったとしましょう。

表:4回

裏:6回

 

確率通りであれば、表5回、裏5回となるはずですが、計算通りにはならずに若干のズレが発生しました。

今回は表4回、裏6回というわりと計算通りに近い結果でしたが、表1回、裏9回という偏った結果になることももちろんあるわけです。

 

しかし、「試算回数を増やせばより計算通りの数値に近づく」という「確率は収束する」というものが考えとしてあります。(確率収束論)

10回を100回にすれば、表50回、裏50回が確率通りの数値ということです。

1000回ならば、表500回、裏500回。

10000回なら表5000回、裏5000回ですね。

 

試算回数が増えれば増えるほどそのズレは少なくなり、計算通りの数値に近づいていく?

もちろん理論上はそうなります。それは確かに間違ってはいません。実際に試してみてもそうなる可能性は高いでしょう。

 

しかしですね。これはあくまでも理論上はそうなるというだけであって、必ずしもそうなるとは限りません。

1回だけコインを投げて、表と裏が出る確率は50%と50%ですから、計算上の数値はそりゃそうですよ。当たり前です。

それを1000回もやれば近い数値になる場合が多いでしょう。

でも確証があるわけではないですし、偏った結果になる可能性だってあるのです。

 

たとえば1000回投げてみて、表400、裏600になることもあれば、表100、裏900になることだって当然ありえます。

たしかにこれほど偏るのは珍しいケースではあるでしょうけれども、理論上そういうケースがあることを完全否定できるわけではありません。

 

それぞれの結果の確率が50%というとてもシンプルなコイントスですらそうなんです。

とても複雑な計算が必要な麻雀でこの「確率収束論」がいったいどれほど役立つと言えるのか?

もうこの時点で疑問ですが、そもそもそれ以前にも大きな問題があるのです。

麻雀では同じ状況はほぼ無い

麻雀ではコイントスのようにほぼ同じ状況で何度も試算できるなんてことはありえません。

自分の手牌がほぼ同じ形になることですら、あまり頻繁にはありません。

これは半荘30回ぐらい打ってようやく1回あるかないかと言ったところではないでしょうか?

 

それに加えて他家の手牌はもちろん山の牌がほぼ同じになることだってありません。

可能性が0%とは言えませんが、レア過ぎてあまりにも非現実的です。

麻雀でほぼ同じ状況になることなんてほとんど無いんですよ。

 

まったく同じ状況(自分の手牌も他家の手牌も山の並びも同じ)になることはほぼありえませんから、よく似た状況での試算ということならできなくもないかもしれませんが、それだと意味がないはずです。

っていうか、打っている最中にそれを判断できる時間はありません。

 

ということは、収束論を当てはめる事自体がそもそも間違っていると言えるのです。

「初心者の方が自分の手牌だけを見て有効な牌を選択する目安」ぐらいには利用できますが、他家の捨て牌などの場況だってあるわけですから、正解はけっして同じにはなりません。

 

確率では上、下というのは計算上はあるでしょうけれども、それが収束するためには気が遠くなるほどの試算回数が必要になります。

そして自分の手牌だけでも同じになる状況が、先に述べたように「半荘30回に1回あるかどうか」というとても低い頻度です。

もちろんそれ以下かもしれません。

加えて他家の手牌や山の並びまで同じなんてのは、一生かかって1回あるかどうかと言ってしまっても良いぐらいレアなケースではないでしょうか?

 

仮にそうだとするならば、麻雀では確率が収束することはほぼ無いということになります。少なくとも自分が生きているうちには収束しないでしょう。

収束するにはとんでもない回数が必要だからです。

理論上そうなります。

1局1局が別世界だと考える

長々と書いてきましたが、ちょっとわかりにくいかもしれません。

こう考えると良いです。

麻雀の1局1局は牌の並びが違うのでまったくの別世界です。

たとえ自分の手牌がよく似た形だったとしても、山や他家の手牌の並びは別でしょう。

 

別の世界同士で確率を考えてみたところで、あまり意味がありません。

仮にかなり似通った並びだったとしても、1牌でもずれていれば結果は大きく変わるかもしれないからです。

別世界で何が起こるかを計算しても、数字通りにはならないということになります。

 

麻雀を長く打っていればわかると思いますが、待ちが4つあるリーチがあと1枚しか残っていない嵌張待ちに負けるなんていう理不尽なことは日常茶飯事です。

確率が高いほうが常に有効などということは絶対にありません。

説明してきたように収束することもないです。

つまり確率だけを重視して麻雀を打つのは間違いという結論になります。

 

確率論を軽視するというのとはちょっと違います。

デジタルと言っている人達ほどには重視しないということです。

他に重視すべきものがあるということでもあります。

麻雀での確率は大半が誤差レベル

他に重視すべきなのは、もちろん「ツキや流れ」ですが、そういうものを信じようとしない人は多いです。

私も本記事ではそれについて詳しく書くつもりはありません。

代わりに「麻雀での確率は大半が誤差レベル」という話をしていきましょう。

 

たとえば手牌にこんな形を持っていたとしましょう。

③③④

②か⑤が来れば順子が完成しますね。もし③が来れば刻子が完成します。

 

A 6巡目までに順子が完成する確率は?

B 6巡目までに刻子が完成する確率は?

 

ここで私が重要視するのは細かい数値ではありません。考え方次第では実はそんなもの不要です。

真面目に計算したい人はしてみればいいですが、AもBも90%以上にはならないですよね?

いかがでしょうか?

 

計算するまでもなく直感的に90%を超えないことはわかると思います。

②か⑤をツモってくる可能性は、大雑把に計算すると「34分の2程度※」です。これは10%にも満たない小さい数値です。6巡目の6をかけてもようやく35%ほどです。

※手牌や捨て牌があるので若干増える

 

6巡目というのを15巡目にした場合はどうでしょうか?

88%ほどになりますがこれはあくまでも単純計算です。実際には巡目が進めば枚数も変化するので、キッチリ計算すればこの数値も変化します。

でもそんな細かい数値どうでもいいです。

 

③③④

配牌でこういう形を持っていて、面子が完成しなかった時と完成した時のケースがどれぐらいなのか、そのデータに意味があると思いますか?

完成する時は完成するし、完成しない時は完成しません。

確率の数値が20%だろうが50%だろうが90%だろうが、完成するならするし、しないならしないんですよ。

ということはもはやただの誤差じゃないですか。

 

実際に計算するともっと細かく数値として出せることは出せますが、出してみたところでその数値はあまりあてにならないんですよ。

麻雀において100%という数値はありますし、0%というものもありますが、確実と言える数値はその2つのみです。

そして真面目に計算してみればわかりますが、麻雀では50%を超えるケースからしてあまり存在しないと言えます。

 

90%でもはずれるのに、50%以下の確率なんてどっちにも転ぶってことだし、数値としてもあてに出来ないものが大半をしめるのです。

そして、先にのべたように収束もしません。

 

それでもあなたは確率を重視しますか?

たとえば選択肢が3つありそれぞれが正解である確率は、

35% 45% 20%

とか、こんな微妙な差にしかならない場合がほとんどです。どれを選んだって正解するかはずれるかわかったもんじゃないでしょう?(^_^;)

 

この場合、45%を選んだって55%がはずれかもしれないってことなんですよ?他よりは数値上はマシですけどほとんど誤差レベルでしょう?

私の言いたいことがおわかりいただけたでしょうか?

 

③③④

ちなみにこの形の場合、私ならば確率ではなく場やツモの流れで判断します。対子場なら④を切ってみますし、順子場がはっきりしているなら③を切ります。

つまり、確率よりも場やツモの流れを読んで判断するほうが重要と考えているんです。

※参考記事

対子場をうまく利用しないと麻雀は勝てない

 

どれほど真面目に計算しても誤差レベル、ってことは勘で選んでも似たようなもんなんです。

それならいっそオカルトだっていいじゃないですか(^_^;)

あとがき

「収束しない」と何度も言ってますが、私は「確率が収束しない」と言ってるわけではないですよ。

自分視点だけで見る場合において、確率的に収束するのはとんでもない試算回数が必要なので現実的ではないということです。

大勢の視点であればどこかで収束してるでしょう。

※参考記事

確率は収束しない・・・というかすでにもう収束してる
だいぶ前に確率収束論のことを書いた記事※があって、「確率収束論を麻雀にあてはめるのはおかしい」というのをまとめたんだけれども、かなりの長文なので人によってはわかりにくかったかもしれません。 というわけで、すこし補足するために図を作成しました...

 

麻雀人口がどれぐらいか知りませんが、たとえば10万人の視点で見ればまったく同じ状況(牌の並び)というものが10日に1回ぐらいはどこかで発生しているのかもしれません。

でも打っている人のレベルまで同じではありませんし、人それぞれに打ち筋も異なります。

そう考えると、やはり麻雀にはまったく同じ状況などというものはほぼ存在しないのです。

 

確率を計算するのはいいですが、意味のある部分の計算だけしっかりやって、残りは感覚で判断するほうが楽だし、そのほうが麻雀は楽しいと思いますよ^^

記事をお読み頂きありがとうございました。

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