他人様の麻雀を見ていて気になるのが、
「読む必要の無い時にも読もうとしている」というのがあります。
読んでも意味がないというか、読めたとしてもどうせやることは同じならそもそも読まなくていいし、神経をつかって疲れるだけなので無駄なんです。
「下手な考え休むに似たり」ということわざがありますが、まさにそれを卓上でやってしまっているように思えます。
いっそまったく読まないで打ったほうが勝てるかもしれませんよ?
「読まない」と決めていれば、攻撃だけに専念できますからね^^
この記事では「読み」についてのメリット、デメリットについて触れながら、「読むことの意味、無意味」をまとめています。
また「迷彩」に代表される「読まれないようにする」ことの無意味さについてもまとめました。
そんなの読んでも意味がない
たとえば東1局にかかったダブリーの待ち牌なんて読めるわけがないし、2~3巡目のリーチだってほとんど似たようなもんです。
読んだってわかるわけがないので、そもそも読もうとする必要がありません。考えるだけ無駄です。
自分の都合で手を進めていき、当たったらその時はその時でいいし、それで運良くあがれることもあります。
これは「読めない捨て牌」に対してもすべて同じことが言えます。
たとえば字牌だけが5枚捨てられてリーチ、ときた場合に待ちを読めるかというと、ほぼ読むことはできません。
現物以外の牌はすべて当たる可能性があります。強いて言えば数牌よりも字牌のほうが通りそうだ、ということぐらいです。
でもそれ以上は読んでもしょうがないです。
切った牌が当たる確率を真剣に計算してみたことがありますか?
振り込む確率は常に○○%です
切った牌が当たる確率は、現物やすでに可能性が消えている牌は0%ですが、それ以外の牌はすべて50%です。
スジだろうがワンチャンスだろうが裏スジだろうがアンコスジだろうが山に残り全部生きている牌だろうがラス牌だろうがそーゆーのまったく関係ありません。
50%、つまり「2分の1」です。これは計算するまでもないんですよ(^_^;)
どんな複雑な状況であろうが結果は、「当たる」か「当たらない」かの2通りしかないからです。
表現を変えるとこうなります。
「振り込む形になっている」か「振り込む形になっていない」かということになります。
いくら真面目に計算してみたところで、振り込む可能性が1%程度だと思った牌が当たってしまうこともあるし、その逆だってもちろんあります。
いくら読んだって振り込む時は振り込んでしまうんですよ(^_^;)
また、捨て牌というのは作為的なものもありますので・・・
実は真面目に読んでしまうほうがマズイ場合もあります。
読むから引っかかることもある
麻雀には「迷彩」というのがあります。
自分のやっていることがバレないように捨て牌を作為的に並べるというものです。
初心者にも簡単にできる「迷彩」に「ひっかけリーチ」というのがありますが、これはリーチをかけて自分の捨て牌のスジで待つというものです。
スジにたよっておりる人を狙ったもので、ひっかかってくれる人がいるならそれなりに有効なこともあります。
この場合は、おりるよりも無視して手作りしてしまったほうが良い結果になりやすいと言えます。
おりるからひっかかって当たってしまうのであって、無視して当たった場合はたまたま切った牌が当たっただけということになります。
こういう作為的な捨て牌を並べる人が多くいる場合は、むしろ読まないほうが良いかもしれないということです。
他人の読みをずらそうとするのが「迷彩」ですから、それを読んでしまうと間違った答えを導き出してしまうことになりかねません。
だったら最初から読まなければいいわけですよ(^_^;)
また本人にひっかける気がない場合でも、似たようなことになる場合があります。
変な思考の捨て牌は読めない
意識して「だます」「ひっかける」という気がない場合でも、「迷彩」と似たような効果になるようなことがあります。
変な思考で打っている人の捨て牌というのは、いくら読もうとしても読むことはできません。
なぜならば、そもそもの手順がおかしいからです。
手順がおかしいなら捨て牌だっておかしいものになります。
本人が「読みをずらす」などの考えを持っていなくても、これは「迷彩」と同じような効果を持つ捨て牌になってしまうのです。
これはまだ手順が未熟な初心者の方の捨て牌もほぼ同様の効果※になると言えます。
※[未熟な思考]=[変な思考]というわけではありませんが、麻雀の捨て牌ではそうなってしまうことが多いです。
こうしてつきつめて考えていくと、読める状況というのは非常に限られてくるのです。
読みは限定的な状況でしか成り立たない
ここまで説明してきたことを理解できた方ならば、読むことの必要性を疑う気持ちが芽生えてきたのではないでしょうか?
安心してください。「読むこと」にはちゃんと意味はあります。
ただし、これまであなたが思っていたほどの広い状況下ではないかもしれません。
意味があるのは限定的な状況下においてのみなんですよ(^_^;)
整理してみましょう。
●「初心者の方」「変な思考の方」の捨て牌は、読んでも読みがはずされる可能性が高い。つまり読めない。
これはよろしいですか?
いちおう、初心者の方の傾向として「ソバテンリーチが多い」などの例外みたいなものは存在しますが、そういうのを抜きにするとやはり「読めない」んです。
では麻雀が上手な方の捨て牌はどうでしょうか?
●上手な方は意識して「迷彩」をほどこした捨て牌を並べる可能性がある。読むとだまされるかもしれない。
これはいかがですか?
麻雀がちょっと上手な方は迷彩を作るのは非常に上手です。手順がわかっているからですが、相手の読みをずらすために切る順番を意識して変えたりもできます。
ただし、真に強い人は迷彩なんて作ろうとはしません。また性格が素直な方も迷彩を意識した手作りはあまりしません。
さて、これで「読んでも意味がない」という状況下というのが、すこしは見えてきたのではないでしょうか?(^_^;)
初心者の方、変な思考の方、上手な方。彼らの捨て牌については、たとえどれほど頑張って読んだとしても、その読みに信用がおけない不安定なものということになります。
大雑把に言ってしまえば、精度が低いか、小さくしぼることができない中途半端な読みにしかならないということが言えるのです。
そんなもののために神経をつかい真剣に読む意味がはたしてあるのでしょうか?
さきほど言ったように、読もうが読むまいがそんなものはまったく関係なく、どんな状況であっても振り込む可能性は常に50%なのです。
これはあくまでも、現物や可能性0の牌を切る場合以外の話ですよ?
そういう牌を選択して切っていくベタオリをキッチリと行えば、振り込む可能性を限りなく0%に近くすることはできます。
でもここではそういう話をしたいわけではありません。振り込まないことが重要というわけではないのです。
「読み」は限定的な状況下じゃないと精度が低くほとんど成立しないということです。
意図的にその読みをずらす人がいるし、意図せずともそれをやってしまうような人もいる。
そういうのがまったく無いような場など通常ではほぼ存在しません。
雀歴が長くても手順のおかしな人は山ほどいますし、プロと呼ばれるような方々は他の人の読みをはずすことを意識している方が多いです。
そういうプロの麻雀を真似する人も多いので、一般的な麻雀の場ではむしろそれが当たり前のようになってしまっています。
さて、今の麻雀業界はそういう状態なのですが、私は先ほど言いました。
「真に強い人は迷彩などしない」
真に強い人は迷彩なんてしない
強い人は迷彩なんてしないんです。そして手順もしっかりしているので捨て牌を非常に読みやすい場合が多いです。
「読まれちゃダメなんじゃないのか?」
って思う方もいるでしょうが、それは大きな間違いです。
彼らは捨て牌に迷彩を作ることよりも、もっと有効なことをやっているんです。
だからこそとんでもなく強いんですよ。
これは一度でもそういう人と対峙してみたら、理解させてくれると思いますよ。
それこそぐうの音も出ないほどにね( ;∀;)
捨て牌の迷彩は愚行に過ぎない
迷彩と言うのは、他人をだまして討ち取ろうという考え方です。
自分のやっていることが他人にばれないように、意識して捨て牌を並べる。
ひっかかる人はひっかかってくれますし、確かにこれがうまくハマることはあるにはあるんです。
しかしですね、迷彩というのはデメリットがいっぱいあるんですよ。
私からしてみるとほとんど愚行としか思えません。
迷彩のデメリット1 スピードを犠牲にする
麻雀は誰かがあがるとその局は終わりでしょ?
つまりスピードはとても大事な要素です。捨て牌に迷彩をほどこすには、効率の良い手順をあえて意識して曲げなくてはできません。
端的に言えば「素直じゃない」んです。「真っ直ぐじゃない」「ひねくれている」とも言えます。
それがスピードを犠牲にするんです。
一つわかりやすい例をあげましょう。
萬子の混一色へ向かうとした場合に、迷彩を作るにはどうすれば良いでしょうか?
普通、萬子の混一色の捨て牌は、萬子以外の数牌が先に切られて次はオタ風、役牌と出てきて萬子が切られたらほぼ聴牌かな?という感じです。
この読みをずらすために迷彩を作るのであれば、たとえば最初のほうに萬子や字牌を最低でも1枚切る必要があります。
混一色であがりたい時にその貴重な材料を1枚とはいえ先に切るなんて、手順的に無駄でしょう?スピードも効率も悪いですよね(^_^;)
その1枚がオタ風だったり、老頭牌だったりしても、あがりへのスピードを遅らせる可能性を作ることは間違いありません。
麻雀ではスピードはとても大事なんですよ?
わざと遅くしてどうするんです。
スピードを犠牲にして代わりにどんなメリットがあるんでしょうか?
「読みをずらせるから他家からあがり牌が出る可能性が上がる」
とか
「読みをずらすことで自分の有利な状況を作りだす」
っていうのは、必ずしもメリットとは言えないんですよ?
迷彩のデメリット2 読まない人には無意味
「読みをずらせるから他家から出る可能性が上がる」
「読みをずらすことで自分の有利な状況を作りだす」
他にもあるでしょうけど、他人の読みをずらそうとしているのは同じでしょう。そういうの全部ひっくるめて、すべて同じ理由でメリットになるとは限りません。
「他人の読みをずらす」という目論見の成否が、他人にゆだねられていることはおわかりでしょうか?
この場合、まず「読んでくれる人」にしか通じません。
さらに「読んでくれる人がだまされた」という形にならないと失敗です。
・読んでくれない人には通用しません
・読んでくれてもだまされない人には通用しません
・そもそも捨て牌を見ていない人には関係ありません
・「意識して読まない人」にはもちろん通用しません
こんなにダメなケースがいっぱいあるんですよ?
その上で手作りのスピードも効率も悪くなるんです。
デメリットはそれだけじゃありません。
迷彩のデメリット3 ツキがひねくれる
真剣に説明しようとすると長くなるので、大雑把に乱暴に言いましょう。
「手順を良くすればツキが上がり配牌もツモも良くなる」
こういう考え方があるのですが、迷彩というのはそこから大きくはずれます。
真っ直ぐあがりを目指すことを最優先にせず、他人をだまそうということを考えて迷彩をつくろうとするわけですから、ツキもその影響を受けることになります。
真っ直ぐではなくなりますから、どうしても「ひねくれる」という方向を向くでしょう。
そうなってしまうと、ひねくれたことをしないとツキが回ってこなくなるので、自ら正解をわかりにくくしてしまうということをやっていることになる。
真っ直ぐ打ってもうまくいかなくなってしまうんですよ。
だから「迷彩」というのは、実は良いこと(メリット)が一つもないんです。
迷彩にはメリットが存在しない
いちおう、メリットらしきものとして存在するのは、
「読みをずらせるから他家から出る可能性が上がる」
「読みをずらすことで自分の有利な状況を作りだす」
という先ほどの2つですが、ツキがひん曲がってしまうことを考慮したらこんなものは無意味でしょう。
だから愚行とまで言ったのです。
たとえばですが、それが人生で最後の麻雀とでも言う場合ならば、どうにかメリットと言えなくもないんですけどね。
そうでない場合は、今後の自分のツキに悪い影響をあたえてしまうわけですから、先ほどの2つのメリットらしきものは帳消しになってしまうんですよ。
しかもそれだけの大きなデメリットがあるだけあって、その上で「迷彩」が通用するのは、
「読んでくれる人がいて、かつ、だまされてくれる場合だけ」
・・・なんです。
それでもあなたは「迷彩」をしようと思いますか?
もっと有効なことがあるんだから、そちらを優先したほうがよろしいかと思います。
この記事では詳しくは説明しませんが、
「真っ直ぐツモあがりを目指して打つ」ということです。他人から当たり牌が出ることを最初から期待しません。
自力でツモあがることができれば他人から当たり牌が出なくてもまったく問題ないでしょ?^^
「迷彩」なんて意味ないから今すぐやめましょう。
他の人がみんなやってるからって、安易に真似してる場合じゃないですよ(^_^;)
読むのも読まれないようにするのも無意味かも?
さて、「読みは限定的な状況下でないと成り立たない」と「迷彩(読まれないようにすること)はただの愚行」という2つのことを説明してきました。
どちらも「読み」を否定するかのような考えです。後者については無意味であることはすでに説明しました。前者は半分ぐらい否定したような感じです。
でも「読むこと」には意味があります。
ただし、読んでもしょうがない場合はやっぱり無意味です。
結論を言うとこうなりますが、どうしても明確な回答のないものになってしまいます。
「読まなくてはいけない状況では必ず読む」
「読んだほうが良さそうな状況ではちょっと読む」
「読まなくても良さそうな状況ならあまり読まない」
「読む必要がない状況なら読まない」
具体的にはこの4つを使い分けます。
で、まだ初心者のうちは「読む必要がない状況なら読まない」ということで良いというのが私の考えです。
リーチもすべて無視してOKです^^
参考記事
中途半端に読むよりそのほうが勝てる可能性が上がります。ベタオリばっかりしてるとあがれなくなりますからね。
参考記事
下手な考え休むに似たりなんですよ(^_^;)
理想的な読み
待ち牌をズバリ読むのは条件がかなり揃わないと難しいものですが、危険なゾーンを読むことができれば十分に役立ちます。
少なくともベタオリばかりする必要はなくなるはずです。
たとえば、「筒子の一色手」であることが読めれば筒子と字牌以外はすべて切れます。
「下のほうの三色同順」であることがわかれば真ん中から上のほうは切りやすくなります。
「七対子」だと読めれば、3~7の数牌は切りやすくなります。
上記までのように、役がわかれば危険なゾーンはかなりしぼれます。
参考記事
役がわからない場合でも、後半に手出しで切った牌は待ちに関連する可能性がある牌なので、それらも危険ゾーンをしぼるヒントになりうる。
実際には、それらだけでなく、ツキやツモの流れなどもヒントにして待ちを一点にしぼり、それを切らずにあがを目指すことができれば、非常に高度な麻雀と言えるでしょう。
これが理想的な「読み」と言えるでしょう。
そんなのは不可能、漫画や映像作品の中だけのことだ、なんて言う人もいますが、それは「読み」に使ってる要素がいくつか足りないのではないかと思います。
場況、捨て牌、ツモ切りか手出しか、という「目に見えている」要素だけでは限界があるのは当然です。
私はそもそも読みは苦手なので読まないことも多いのですが、そんな私でも一点で待ち牌を読める場合がちゃんとあります。ゾーンでOKというならその頻度も上がります。
ツキやツモの流れ、アヤ牌とか、意識するだけでも難しい要素ですけど、これらも読みのヒントになるんです。
詳しく知りたい方は雀鬼について調べてみてくださいね(^_^;)
未熟な私には正しく説明できません。
参考記事
危険な牌だけを止めて前に出れば、相手よりも先にあがれることもあります。
もちろんそれで振り込む形になることもありますが、危険ゾーン以外で当たった場合はたいした怪我にはなりません。
それに、そういう振り込みが正解だったということもけっこうありますからね^^
振り込んでしまったけど、次の局に一発で跳満をツモあがるとかありますから。
これはベタオリばっかりしてる人には絶対に理解できませんよ。
記事をい読みいただきありがとうございました。