麻雀には対子場、順子場という言葉があります。
ざっくり言うと牌のかたよりがどうなっているかということですが、今の麻雀業界は順子手ばかりを重視する傾向にあります。
でも麻雀は対子場をうまく利用しないと勝てないんです。
なぜなら麻雀の場は順子手があがりやすい順子場ばかりではないからです。
さらに言うなら麻雀の場は他にも種類があります。
順番に説明していきましょう。
対子場と順子場
麻雀の場というものには色々あるのですが、一般的にもよく使われている中に対子場と順子場というのがあります。
これは牌の偏りが生み出すもので、対子場では牌が重なりやすくなり、順子場では重なりにくくなるという感じです。
対子場では順子が完成しにくいので順子系の手を作ろうとしてもうまくいきにくく、逆に対子系の手を作ろうとすればうまくいきやすい。
順子場はその逆で、対子系を作ろうとしてもうまくいきにくく、順子系の手を作ろうとすればうまくいきやすいです。
そしてこの対子場と順子場との間に混合場というものがあります。
みんな順子場、対子場、って言葉を使っているんですが、実際には対子が濃いか薄いかということです。
※ゲームが好きな人には「フィールド属性」という言葉のほうがわかりやすいと思います。
対子、順子、色、ドラ、門前、鳴き、真ん中、端っこ、などの属性がその場に影響を与えている。
牌の並びがどう偏っているかということ。
対子場での現象とあがるためのコツ
まずは対子場に気付くことができないといけませんが、これは自分の手牌とすべての捨て牌、自分のツモの流れなどを見て判断します。
対子場かどうかをチェックする要素
・配牌の時点で自分の手牌に対子、暗刻が多い
・配牌の時点で147、258、369とスジの牌を持っていないかどうかを見る
・早い段階から捨て牌に同じ牌(特に数牌はスジも)があるかどうかを見る
・順子の両面が引けずに牌が重なってくる
・順子がまったく増えていかない
・ポンが多い(暗刻も増えてくる)
・よくかぶる(捨て牌にもかぶった牌が並ぶ)
これらが多く見られるほど完全対子場である可能性が高くなり、四暗刻、対々和、三暗刻、七対子などの対子系の役が活躍するような場になる。
ってことは、それらの役を狙っていけば自分があがれる可能性が高くなるということです。
対子場では特にスジの牌が重なりやすいので、それも意識して手作りしていくとあがりやすくなります。
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ちなみに七対子という役は、一般的なデータでは出現率が3%未満だそうですが、対子場を意識して対子系のほうに寄せていくという打ち方をすれば絶対にこんなに低い数字にはなりません。
多くの方が順子系ばかり大事にしていて、七対子を狙っていないからあがれないし対子系の手順も下手くそというだけのことなんです。
これは四暗刻、対々和、三暗刻なども同様です。
データをとっているわけではありませんので具体的な数字は出せませんが、対子場を感じてちゃんと狙えばもっとあがれます。
ってゆーか、完全対子場ではとにかく数牌が横に伸びずに順子になりませんから。
対子系の役じゃないとあがれないんですよ(^_^;)
完全順子場はその逆で対子系の手はあがれません。
平和系全般、国士無双などがチャンスとなります。世間一般的な麻雀論は多くの場合、この完全順子場を想定して語られています。
でも実質的にもっとも多いのは混合場です。
完全順子場なんて実はあんまりないし、対子場のほうが多いんです。
だから対子をうまく利用しないと麻雀は勝てないんです。
ま、残念ながらここに書いたことを証明することはできませんけどね(^_^;)
とりあえず、確率論ばかりを持ち出して疑ってばかりいるんじゃなくて、偏見を捨ててしばらく対子を意識して打ってみてほしいですね。
ここに書かれたようなことが卓上で本当に発生しているかどうかをご自分の目で確認してみてくださいな。
これは受け入れる気があるかどうかの問題です。
順子が完成しにくいのは理屈じゃない
一般的によくされている麻雀論では順子系の手作りを重視します。
両面の良型で待とうと手作りしていこうとするわけですな。
「56」って両面搭子があればその両脇の「47」が4枚ずつで8枚、「56」は3枚ずつで6枚。そんな当たり前過ぎることはも・ち・ろ・んわかってます。
でも「47」が来ないで「56」が重なってくるし、2、2、2と3連続で同じ牌を引いてくることもある。
そしてそーゆー時の捨て牌や自分の手牌、配牌の時に持っていた牌、かぶって捨てられる牌の数々・・・
これはもう理屈じゃありませんよ。
あなたもそんな経験が一日のうちに何度となくあった覚えがありませんか?
存在を完全否定するほうが無理がある
なんどもシツコイですが確率論はもちろんわかってます。
両面待ちで順子を作ろうとしたくなるのは当然ですし、確率論だけで言えばそれが正しいと言えます。
しかし、確率でいうと高いはずの二萬、五萬が引けずに、確率では低いはずの三萬、四萬を引いてきてしまうというケースは、これまで山ほど発生しているはずです。
しかも同じ日、同じ卓、同じ半荘、同じ局に何度も何度も確率の低いほうばかりが発生する。
「それも確率の上で存在する可能性だから仕方がない」
確率論にとらわれているような方からはこんな言葉が返ってきそうですが(^_^;)
それならそれも良いかもしれません。
「対子場というものが存在する」という事実から目をそむけ、確率論にしがみついてみるのも良いでしょう。
そういう人はたいてい「だったら証明してみろ」とか言うんですけど、その言葉そっくりそのままお返しいたしますよ。
「対子場というものが存在しない」ということを証明してみてください。
存在を肯定するのと否定するのはどちらが難しいか真面目に考えてみると良いです。
これは対子場とかそういうものだけでなく、たとえば幽霊とかUFOなどのオカルト的なもの全般に似たようなことが言えます。
否定するほうが圧倒的に難しい(っていうか不可能※)のに「そんなのあるわけない」「科学的に証明できない」って、根拠も何もなく大きいことを言っているのは、ほとんどの場合においてむしろ否定派のほうです。
※参考記事
科学的な証明とか言う人が非常に多いんですけど、科学ってまだまだ未発達な学問ですよ。
万能じゃありません。
確率論も同じことです。すべての事象に対して・・・って自分が知ってる事象がすべてとは限らないでしょう?
確率論だけを持ち出して対子場という麻雀における事象を説明することはそもそも無理があるのです。
対子場や順子場の他にも場がある
最初のほうですこし触れましたが、対子場と順子場については対子が濃いか薄いかだと言いました。相反する2つの属性としてこう書くこともできます。
順子場 ↔ 対子場
ここですこし視点をずらして麻雀の手役というか、他の要素にも目を向けて見て欲しいんです。
たとえば、「門前」と「鳴き」は相反する属性と言えると思います。
門前場 ↔ 鳴き場
そして「ドラ」と「ドラ無し」、「一色」と「三色」、「数牌」と「字牌」、「真ん中」と「端っこ」、「断么九(タンヤオ)牌」と「么九(ヤオチュウ)牌」などなど・・・
これらの相反する属性が一局の中でどう発生するのか?
どちらにどれだけ偏っているかということなのですが、その偏りが手牌やツモの流れに影響しているわけです。
それが「場」ということになります。
順子場と対子場は一般的にも知られている言葉ですし、さきほどあげたような他の要素と比べると見えやすくてわかりやすいようなところもあります。
でも実は麻雀における要素の一端でしかないです。
場について詳しく知りたい場合は?
対子場と順子場って言葉は耳にしますけど、はっきりとその意味がわかっていて使ってる人はかなり少ないと思います。
私もその一人ではありますが、経験則ですこしはわかってきている状態です。
私も対子場や順子場を最初から知っていたわけではありません。
麻雀を打っている時に友人が「対子場」という言葉を使っているのを聞いて知っただけです。
でもその時はほとんど対子場についてわかってはいませんでした。
対子場について深く学ぶことになったのは、やはり雀鬼の著書を読んでからです。
ここではそれについてはあまり触れませんが、ここに私が書いていることは「雀鬼の著書をきっかけに対子場(だけではありません)について正しく意識するようになったから得られたもの」です。
麻雀の場について知るためには、雀鬼について知るのがベストの方法です。
あとがき
ひとまず「対子場と順子場」についてはこれぐらいにしてきます。
そう簡単にわかるものではないし、わかったからってすぐどうこうできるような単純なものでもありません。
経験を積みながらすこしずつ学んでいくしかないのです。
ただその時に、狭い価値観(この場合は確率論)しか重視していないという状態はマイナスにしか働きません。
確率論や科学を根拠にして自分がすべてを知っているかのように考えるのは、愚かで何もわかっていない上に傲慢だと私は思います。
私も含めてたいしたことのない人間なのですから(^_^;)
記事をお読み頂きありがとうございました。
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