麻雀の流れはあるんだけれども・・・

麻雀でも何でもそうですが、物事には「流れ」というものが存在します。

ここで言う「流れ」とは、よく麻雀業界で取りざたされる「流れ論者」だの「デジタル」などというものとは、いったん切り離して別ものとして考えていただきたい。

実際、麻雀業界の流れだのツキだのという話は、雀鬼以外の人の言葉は信用できるものとは思えないフワフワしたものだと思います。もちろんそれは私がこれまでに書いてきたような記事の内容も同様です。

 

なにしろ目に見えないものなのですから、科学的証明なんて出来っこないですし、いくら議論したって決着なんてつくわけがないんですよ。

しかしながら、「流れ」が存在することは確かで、それははっきりしています。すくなくとも私はそれについて自分なりの解釈を持っているし、同じような打ち手はプロアマ問わずそれなりにいらっしゃるでしょう。

 

問題なのは説明の仕方が難しいということ。また、はっきりと定義がなされているものではないので、流れ論者同士であっても人によってそれぞれ意見がバラバラという面倒な問題もあります。

残念ながら現在の麻雀業界においての「流れ」に関するものはそういう状態なんです。

悪い言い方をすると占いなどと同じようなもので、一歩間違えれば嘘だの詐欺だのとヒドイ中傷を受けてしまいやすい胡散くさくて怪しいものとすら言えます。

 

「流れなんて無い」

・・・という人達がたくさんいらっしゃるのも、こんな悪い状況下では仕方がないと言えるでしょう。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、そのへんをふまえましてですね^^

 

「流れって何?」

・・・というのが、(よっぽど意固地な人でない限りはw)なんとなく掴めるようになるんじゃね?

という話をしていきます。

麻雀の流れとは? 流れではなくストーリーとして考えてみよう

麻雀の流れとは?

これを文字だけで説明できるなら話は簡単なのですが、先に書いた通り目に見えないものですので、それはメチャンコ難しいです。

まずはこう考えるといいのかなと思います。

 

「流れ」ではなくて、まずは「ストーリー」だと考えてみましょう。

たとえば麻雀の手牌と手順を表すとこんな感じです。

 

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么九牌が多くてバラバラな配牌だったが、思いのほか良いツモに恵まれ、手早くテンパイしてリーチをかけて満貫をツモあがることが出来た。

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要約すると、「最初は悪かったけど良い結果となった」というストーリーになります。

 

もういっちょいきましょう

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ドラが2枚ある七対子の一向聴というとても良い配牌でしたが、なかなかテンパイしないまま巡目が進み、親から先にリーチがかかったとたんテンパイしました。

こちらも「リーチ」と牌を曲げましたが、その牌が当たってしまい親のリーチに一発で放銃となりました。

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先程の例とは対象的に、「最初は良さげだったけど結局は悪い結果になってしまった」というストーリーになっています。

 

これをですね、自分で麻雀を打つたびに意識してやってみると良いです。何だったら他人の麻雀を後ろから見て勝手にストーリーをつけちゃってもかまいません。(口には出さずにねw)

これを何度もやっていると、点ではなく線で物事を見るくせというものがだんだんついてきます。

 

これは「流れ」というものを理解するために助けとなりますし、麻雀以外でのジャンルでも役立つものです。

っていうか、スポーツや格闘技の世界では、自然に流れという言葉を使ってる場もありますわな。麻雀の流れだってそれと同じことなんですけどね。

なぜか麻雀業界ではアレルギーになってしまう人が多いらしくて、現状とても面倒なことになってしまっているんですな(^_^;)

でも落ち着いて考えてみると、こんなの当たり前のことでしょう?

 

ストーリーとして考えてみると、必ず何かしらのストーリーは存在するものです。

すこし乱暴ですが、

ストーリー = 流れ

と言ってしまってもいいかと思います。

ということはですね、やっぱり流れはあるんですよ。おそらくは、世の中にあるどんなものにもです。これを科学的にキッチリと証明することはできないかもしれませんが、麻雀の手牌における手順や、試合全体を通しての展開的な流れなどはあると言い切ることはできます。

 

ここまではツキのお話はいまのところまったく関係はありません。すくなくとも(この記事ではw)胡散臭いフワフワしたことなんて私は言っていないはずですよ。

ここまでだったら、「流れなんて無い」と言ってる人も納得できるお話でしょう?

閑話休題

すこし脱線して様々な流れを考えてみましょう。

たとえば我々が住んでいる地球という天体の流れはどうでしょうか?

 

天体としての歴史的な流れもあります(あまり詳しくないので書きませんがw)し、風、水、砂、雲など物質的な流れなどいろんな流れがありますよね。

風をもっと大きくとらえると大気の流れということになり、水なら川や海などの流れだったり波と言った大きな流れが見えてきます。

コロナ禍の最近では人流などという流れも耳に入ってきますし、景気の波や政治の支持率なども一種の流れと言えるでしょう。

 

地球に住んでいる生物それぞれにも流れがあります。

精神的な感情の流れもありますし、体内を覗いてみると血液やリンパなどが流れていたりもします。

そして、これらのどれもストーリーとして文章化して文言に置き換えることができるはずです。

 

麻雀というマニアックなゲームに限定してしまうと、浮き沈みの結果だけを見て点で捉えてしまいがちですが、意識して線で捉えるようにしていくと、色んな流れが見えてくるようになります。

ツキの話はひとまず考えなくていいです。

まずは様々な「流れ」を見ていくといいでしょう。

流れが無いと言う人は損してるかもよ?

今の麻雀業界には、流れが無いという人はそこそこいらっしゃるみたいですが、ここまで真面目に読んでくれた人ならもうお分かりでしょう。

流れ自体はあります。

ただし、打ち手の思いのままに流れを引き寄せたり操ったりすることは、とても難しくて結果の部分が不安定なので、雀鬼ぐらいしか高レベルの域で体現できないという現実が先にあるんですね。

 

でもツキの部分については触れずにいれば、流れ(ストーリー)はちゃんとあるわけですよ。

別に難しい話ではないから、理解できないということはないはずです。科学的根拠とやらも不要な部分ですから証明も何も必要ありません。

ま、意固地な人はこの部分ですら詭弁だなんだと難癖つけて認めようとしないのかもしれませんけどね(^_^;)

 

物事を点でしか捉えられない考え方のままだと、人生のいろんなところで損しちゃうと思いますよ。

意識して見るようにしていけば、流れはすこしずつ見えてきます。

麻雀の流れと範囲について

先ほどのストーリー(流れを文章化した文言)の例は、1局単位の配牌から手作り、結果までの範囲です。

しかし、麻雀には半荘という単位もありますし、リーグ戦などの長期的なものも存在します。

細かいところでは巡目もそうですし、捨て牌の並びの1段目~3段目などの範囲もありますよね。

 

上記までのものは時間とか試合数などについての単位による範囲ですが、麻雀には他にも範囲があります。

たとえば、自分と他家3人という一卓の範囲もそうですし、特定の他家1人と自分という範囲でもいいでしょう。

同卓していない人と自分、という範囲も考えられますし、リーグ戦に参加している人すべてという範囲もありますわな(^_^;)

 

これらも意識して様々な視点、範囲でストーリー(流れ)を考えてみるといいかと思います。

慣れてくると、1局単位の結果というのがとても小さく見えてきたりしますよ(^_^;)

「振り込んでしまったけど、次局に跳満を一発でツモあがりして最終的にトップをとることができた」

・・・とかね。

 

ちなみに、一般的な流れ論者の言ってることがよくはずれてしまう原因は、この範囲の部分をあまり考慮せずに話しているというケースがほとんどだと思います。

たとえば、自分に流れが来ているから次もあがれる、なんていう中途半端な流れ論は付け焼き刃レベルですのであんまり振り回さないほうがいいですよ(^_^;)

自分側からは把握しにくい相手側の流れの存在などを忘れているんじゃないのかな?

 

流れは変わるし、終わるし、その合間に始まる別の流れだってあります。それらをすべて把握するのは私らレベルの打ち手では無理でしょう。

それに、対戦相手が黙って座ってるだけってことはないんだし、相手はどうにか反撃しようと動くんですから、もしたとえ今、自分に良い流れが来ていたとしても、次の瞬間にはどうなっているかわかりませんよ。

 

まぁ・・・自称オカルトチックで有名なプロの方からして、オカルト的なことをうかつに口にして予想がハズレてしまい、コメント欄が的外れなツッコミだらけになるのをよく見かけるみたいですけども。

すっごく的外れではあるけど、そう言われてもしょうがないかなーという感じなんですよね。

できればあれは控えていただきたいけど・・・プロとなるとそうもいかないのかなぁ・・・(^_^;)

あとがき

文中で「点ではなく線で」という話をしていますが、実際には平面どころか立体的になっているであろうと考えています。

文章では線までが限界なんじゃないかなぁ。

平面までなら文章+イラスト数枚でどうにかなるんじゃないかと思うんですが、まぁ、まだ先の話でしょうね。

 

何年か前に「麻雀には流れが無いことを証明した」とかいう人の書いたものをすこしだけ読んだんですが、そもそもの定義が間違ってるから意味ないなと思いました。

誰が話した流れについて何を証明したのか知らないけど、まずは流れの定義が合ってるかどうかが問題でしょう。

その部分が間違ってるならなーんの意味もありませんよ。

 

「麻雀には流れが無いことを証明した」

これって、流れをいくらかでも見えている人からしてみたら、「自分は物事を線ではなく点で捉えています」と白状してるようなものですのでね。

失笑されて終わりなんじゃないかな(^_^;)

 

ただ、引き寄せの法則というものを考慮してみると、案外それはそのままでもいいのかもしれないな、という考えをつい最近ですが自分の中にもつようになりました。

自分の信じているものが引き寄せられて現実化するというなら、「流れなんて無い」という人には流れの無い現実を体験することになる・・・。それならどんなに視野の狭い思考であっても正しいも間違いも存在しない。

すべては自分自身が作り出したものということになるからだ。

ま、わかりませんけどね。

 

それにしても、この記事はツキについては触れていないけどカテゴリはやっぱり「ツキの話」でいいかなぁ?(^_^;)

ひとまずそうしておきましょうかね。

記事をお読みいただきありがとうございました。

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