資本主義の世の中なので仕方がないのかもしれないが、何でも金、金、金というのが透けて見えて萎えてしまうことが多い。
金を稼ぐために口八丁手八丁。当たり前のように嘘を並べる。
とにかく何でもいいから自分のところへ集客しようとする焦った姿勢では、信用というものがおろそかになってしまうのではないのか?
商売にしろ何にしろ信用は大事だ。
というか・・・金だってその信用が形となったもの、と言えなくもない。
信用がないならそれはただの紙切れ、コイン、数字などでしかないだろう。
偽物を本物に見せようとしたって見る人が見ればすぐに見抜かれる。
弱い人をいくら強い強いともてはやしたって強くなるわけではない。まぁ、立場が人を成長させることもあるから、先のことはわからないというのはあるが、少なくともすぐに強くなるなんてことは絶対に無い。
だからどうしても嘘になっちまう。そしてその嘘をごまかすためにさらに多くの嘘を並べ立て、もっと大きな声で褒めたたえなければならなくなるわけだ(-_-;)
その不自然極まりないもので信用を得られるのか?
。。。と言いたいとこだが、客がだまされているならその形は成立してしまう。たとえ信用が無くても、金が回っている限りは・・・。
関係各所の利害が一致していて、それぞれの折り合いがつくうちは存在し続けるだろう。
たとえそれが嘘や誤魔化し、忖度まみれの歪(いびつ)なものであってもね。
勝手にやってろよ、とは思っているが・・・多くの人を惑わして勘違いさせていく格好になっているのがなぁ・・・。
いったいどうすりゃいいんだろうな。
どうせなるようにしかならんものだけどさ。
誰かの金だか野望のために並べ立てた嘘八百で、多くの人を間違った道へと進ませてしまう。
その勘違いした人達は金を払ってくれるいいお客さんでもあるのに・・・。
商売としてもひどい形だと思うが、だまされるほうもだまされるほうで問題があるんだろうし、結局は踊る阿呆に見る阿呆というヤツなのかな。