麻雀の「強い」って何だろう?
回数を多く打った統計データというのはあてになるものなのでしょうか?
ということについてそれぞれ自分なりに考えてみました。
麻雀が強い人の統計データは当たり前のように指標とされているけど、いったいどこまで信用して良いものかどうか・・・とか色々と書いてます。
麻雀が強いとは?
麻雀ではどういう状態を「強い」と言うのでしょうか?
「勝ったほうが強い」
普通の場合ならもちろんそれでいいでしょう。
しかし、これは麻雀だけでなく、スポーツや格闘技、人生、仕事、恋愛、勉強、ゲームなど、その他多くのあらゆることで同じことが言えると思います。
「必ずしも強いほうが勝つとは限らない」
言い方を変えると、
「必ずしも実力のあるほうが上になるとは限らない」
麻雀ではこれが特に濃く出ると思うのです。
そしてツキという目に見えない部分が大きく影響するがために、真の実力というのが非常に見えにくいと言えるでしょう。
4人で対戦するということもそれに拍車をかけるような形になっています。
実力的にもっとも強い人があっさり負けてしまうこともあるし、初心者が連続でトップをとったりすることもある。
それが麻雀の怖いところです。
しかしそれでも、「強いのは誰?」というのを判断しなくちゃいけません。
先ほどの例で結果だけを見れば、「実力者よりも初心者が強い」ということになってしまいますが、それはやっぱりおかしいでしょう(^_^;)
でも麻雀ではこういうことがどうしても発生してしまうんです。
特に短期決戦ではこういうことが発生しやすいと言えます。
半荘、東風戦どちらでもかまいませんが、数ゲーム程度の勝負では真の実力はわかりにくいです。
その人が強いかどうかは、結果よりも経過を見て判断しますが、これはこれで色々と面倒でしてね(^_^;)
あとで説明しますが難しいんですよ。
だから普通はこう考えます。
多くの結果を見て判断する。つまり、ある程度のゲーム数のトータルの結果で判断します。
たとえば半荘なら100回とか500回、1000回とゲーム数を多くしてその結果で判断する。
ゲーム数が多ければ多いほど信用できる指標になるとされます。
まぁ・・・普通に考えればこれは当然のことですよね(^_^;)
いっぱい打っていっぱい勝ってるほうが強い、そしていっぱい負けてる人は弱い。
非常にわかりやすいですし、数値としてのデータがあるわけですからもちろん説得力もあります。
結果を目に見える情報としてだしたわけですからね。
しかし・・・それらの数値をはたして簡単に信用していいものかどうか?
トータルで良い結果を出していれば強い? ホントにそうかなー?
多くのゲーム数を行い多くの結果から統計的なデータを出して数値化し、それで強いかどうかを判断する。
これは非常にわかりやすいし、多くの方が納得できるやり方です。
それは絶対に間違いありません。
が、しかし、やっぱり数字だけじゃ判断できません。
数字を迂闊に判断してはいけない
たとえばこういう場合はどうでしょうか?
半荘1000回のデータとして、
「トップ率が40%以上なら強い」
「ラス率が40%以上なら弱い」
いかがですか?あなたはどう思いますか?
これで良いと思いますか?
おそらく大半の方は「そりゃそうだろう」と思うでしょう。
普通に考えたらトップ率40%以上なんて化物みたいに強い人の数値ですし、ラス率40%以上というのも相当に弱い人の数字です。
そう思うのが普通だと思います。
しかし、私ならばその数値だけでは判断することはできません。
他の数値も見てみないことには強いか弱いかさっぱりわかりませんし、できれば数値よりも「経過を見て判断したい」と考えます。半荘数回の打ち方を見て判断したいです。
数字のマジックに注意
「トップ率が40%以上なら強い」
まずこれね、2着率、3着率が1%程度でラス率が57%とかだとどうなりますか?
いくらトップ率が化物レベルに高くても、これじゃこの人は弱いでしょう?明らかにトータルでマイナスですからね。
「ラス率が40%以上なら弱い」
これも同じですね。さっきと逆でトップ率が60%に近いならトータルでプラスでしょうから。ラスをいっぱい引いていても少なくともプラスなわけです。
でも殴られ過ぎですよね(^_^;) 強いか・・・となると疑問ですが、けっして弱くはないと言えるでしょう。
これらはもちろん極端な例ではありますが、こういうことがあるかもしれないわけですから、数字のマジックには気をつけないといけません。
部分的な数字だけを見て判断するのは危険ですよ、ってことです。
こういう数字のマジックを利用したテクニックは、政府やマスコミなどがよく使ってますよ。
大衆を自分らの具合の良い方向へと向かわせるために、一部分の都合の良い数字をデータとして出して世論を誘導する。そして都合の悪い数字については絶対に自分からは口にしない。
まぁ、それで景気を良くしていこうとするような場合もあるでしょうから、けっして悪いことばかりではありませんけどね。
回数はいくら多くても無意味
統計的なデータなので、麻雀の場合はゲーム数が多ければ多いほど信用できる数値となる。
もちろんそれはそうなんですが、他にこういう問題があるじゃないですか。
「誰と打ったのか?」
ということですよ。
たとえば幼稚園児相手に1000回打って1000回勝ったからってスゴイとは思えないじゃないですか(^_^;)
もちろんこれはわかりやすく説明するための極端な例ですが、こういうことだってあるわけですよ。
いくら統計上の数値だけを見せられても、強いか弱いかっていうのをキチンと判断することはできないんです。
だからデータとしての数値ではなく、実際に打っているのを見て判断したいわけです。
結果としてのデータよりも経過のほうが重要だけど・・・
麻雀が強い人は打ち方にそれが出るし、手順を見ればその人が強いかどうかはだいたいわかるものです。
しかし、これはさっきも言ったように、色々と面倒で難しいんですよ。
証明する方法が無い
まず第一に「証明する方法が無い」んです。
打っているのを見て、「この人は強いね」って言ったからって何の証明にもならない(^_^;)
これはどこの馬の骨だか尻尾だかワカラナイような私なんぞはもちろんですが、肩書や実績などもあまり関係がありません。
若手の麻雀プロが言おうが、ベテランの麻雀プロが言おうが・・・
コホン・・・じ、雀鬼が言おうが・・・ゲホッ・・・うっ・・・( ;∀;)
いや、しかし、この場合は仕方がないです。いくら尊敬している雀鬼とはいえ例外とはなりません。
雀鬼が言おうが何の証明にもなりません・・・ハァ・・・ハァ・・・OTL
すいません。もうしわけありません。雀鬼本人はもちろん関係者各位その他もろもろ色んな方にごめんなさい。
私個人としては雀鬼のおっしゃることをほぼ信じていますので、証明とかいまさら関係はないんですが、上に書いたのは一般的にどう判断されるかということで書いてます。
私は雀鬼が「この人は強いね」って言ったら、その人がもし女子中学生だったとしても雀鬼の言葉を信じます。・・・いちおうは(オイ)
明確な指標が存在しない
そして第二に、「明確な指標が存在しない」ということです。
打っているのを見て判断すると言っても、どこをどう、どれだけ見て判断するのか、これは人それぞれです。
わかりやすい例をあげると、たとえば強い人はアガラスというのはしません。アガラスをしている時点でたいした打ち手ではないというのがわかります。
立直がかかったらベタオリばかりするという人の麻雀も弱いです。迂闊にドラを捨ててしまうとか、手順がおかしいなどもそうです。
状況的に切るべき牌ではないものを切ってしまう場合なども良い判断材料です。
見る人が見ればその人がどれぐらいの打ち手なのかというのは、実はある程度わかってしまうものなんですよ。
しかし、何かマズイ行動をしたとしても、それが結果オーライで成功してしまうこともあるのが麻雀というゲームです。
その逆も同様でどれほど見事な判断をしたとしても良い結果に結びつかないこともあります。
それが原因で複雑化しているのが現状です。
何が正解で何がダメなのかというのは、人それぞれに存在しています。
色々と面倒で難しいというのはそういうことです。
個人の指標が跳梁跋扈する無法状態で各自で判断するしかないのが現状なので、判断の基準となるものが存在しません。
結局のところ「麻雀の強い」はどう判断するの?
結果としての統計的なデータによる判断はイマイチあてにならず、経過を見ての判断も色々と難しい。
・結果からの判断というのは、目に見える情報としてわかりやすく、誰もが納得しやすいものではあるのですが、迂闊には信用できないものでいくら明確であってもあまりあてにはできません。
・経過を見ての判断は、判断した本人にとっては絶対的なものであったとしても、本人以外にとってはそうではなく納得できるかどうかはわかりません。
だからどうしても個人的な判断ということになります。しかし、わかっている人同士の間では通用します。
結果からの判断、経過からの判断、どちらも一長一短ありますが、広く一般的に受け入れられるのは前者です。
後者はどうしてもフワフワしてしまうので、広く一般的には受け入れられることは難しいです。
さて、私はもちろん、前者の一部分を無意味とまで言ってるので、前者をおすすめするつもりはまったくありません。
いくら多くの人に受け入れられやすく納得されやすいとは言ったって、デタラメでは本末転倒ですからね(^_^;)
私が知りたいのは、「強いとは?」であって、「強く見えるのは?」ではありません。そんなもんまったく興味がないです。
ですので、フワフワしてとらえどころがなく、安心感なんてほとんどありませんが、後者をおすすめいたします。
個人的な判断であっても、雀鬼のようなとんでもなく強い人が言うなら信じても良いでしょう・・・ということです。
でも証明となると・・・ね、難しいんですよ(^_^;)
どう判断するかは、結局はあなた自身なんです。
まぁ・・・前者は私がさきほど徹底的にズタボロにしちゃいましたけどね。
それでも前者を選択するというのも、ある意味では「現実的ではある」と私は思います。
なにしろ後者は証明する方法が無いわけですから、いくらその判断が正しくてもやっぱりフワフワしたものなのです。特に商業的には非常に利用しにくいものだと思います。
場合によっては、宗教だのカルトだのその他もろもろいわれのない中傷やヒドイ扱いを受けることもあるかもしれません。
それでも後者を重要視して、正しい道を歩いていくことをおすすめしますけどね。
「強い」ってもしかしたらそういうことも含まれるのかもしれませんよ?
あとがき
幼稚園児と1000回打って1000回・・・というのを書いた時に、私が先に頭に思い浮かべたものは、実はまったく違うものでした。
麻雀プロの各種リーグ戦や、オンライン麻雀の天鳳などのデータが先に浮かび、一度はそれで書いてしまったんですよ(^_^;)
でも思い直して幼稚園児に書き直しました。
麻雀プロの麻雀は歪んでいますし、天鳳はゲーム自体が麻雀じゃないから、「麻雀が強い」という判断をする統計データとして適切ではないと言えます。
※参考記事
プロだからって強いわけではないし、天鳳で高段位だからって強いとは限りません。
特に天鳳はシステム的にプレイヤーの価値観自体を捻じ曲げていますから、そういう人達が多く混じった対局のデータなんてあてにはならないと思います。
でもこうは言うことはできます。
「天鳳の高段位者は天鳳が強い」
これは確かでしょう。
そう考えるとプロの麻雀(特に競技麻雀)もある種の独特な価値観の中で行われているものですから、天鳳と似たようなものかもしれません。
記事をお読み頂きありがとうございました。