数日前、深夜に起こされて病院へと運転することになった。
母親の実妹である叔母が危篤状態なので家族を呼んでほしい、ということらしかった。
その病院は以前のうちの家業で取引先だったので、週に3~4回通っていた私は道をよく知っているのだ。
まぁ、有名な街道沿いなので母親が運転しても行けるだろうけど、緊急時なので叩き起こされて頼まれた。
と言っても、私は眠っていたわけではなく、2時半頃にふとんに入って眠れないまま3時半という状態だったからすぐに起きて準備を始めた。
早くて30分ほどの道のりを読み通りほぼ30分ちょいで到着。
受付を済ませて集中治療室へ。
室内へは家族しか入れないとのことで、先に到着していたもう一人の叔母とその旦那さんとともに待機。
ほどなくして息子さんが出てきて説明を受ける。
ざっくり言うと、動脈瘤が破裂したという医師の見立てにより、交代で心臓マッサージを続けているが、もう意識は戻らないだろう(これは息子さんの感想)とのことだった。
私は素人なのでよくわからないが、心臓マッサージってそんなに長く続けるものなのか?
この時点で一時間近く、下手すりゃそれ以上やっている・・・
この時は眠くて頭が回らなかったのであまり深くは考えなかった。
ほどなくして娘さんが到着して集中治療室へと入っていった。
息子さんの話では、父親がずっとついているが、医師たちを威圧したりとかすこし厄介なことになっているらしかった。
まぁ・・・不安な気持ちでいっぱいなのかもしれないが・・・
私らが到着してから1時間ちょっと経過した頃、室内に入れなかった私らのうち2名ずつ入ってくれという知らせがくる。
実の兄弟である私の母親ともう一人の叔母に入るように私がうながして、おっさんと老人2名で待機。話すこともないのでおたがいに無言。
その後、私ら二人も入ってくれということになり、全員が室内へ。
心臓マッサージが行われていた。旦那さんも、私の母ももう一人の叔母も泣き腫らしたような顔で見守っている。
叔母の足元から見ている娘さんの表情はわからなかった。
しばらくして、医師が旦那さんに決断するようなことを言い出した。
(ああそうか、私らはそのために室内に入れられたのか。どう考えたってもう助からん。心臓マッサージを2時間近く・・・計器の見方はわからなかったが0の数値がいくつか見えた。その場にいる医師達はとっくに助からないことはわかっている上で、救命措置を停止するわけにもいかず、ご家族の決断によって心臓マッサージを止める形に仕向けたい、いや、おそらくそうしなければならない何らかの法的な理由があるのだろう。)
旦那さんは追い込まれた形だが、私らがいるから(おそらくは)さっきとは違う。なんとかしろと医師たちに噛みつくわけにもいかず、みんなの前で悲しい事実を受け入れるしかない・・・
旦那さんは黙り込んでいたが・・・娘さんや息子さんが何か言ってうながした。
はぁ・・・どうして私はこんな場面にいなければいけないのだろうか?
結果だけわかればいいのに、とても重苦しい経過まで見せられてしまった。
やがて・・・叫ぶように旦那さんは停止することを承諾し、ようやく心臓マッサージは停止した。
医師が時刻と死亡確認を宣言し・・・何名かが泣き出した。
私はもらい泣き程度で済んだので涙はすぐ枯れた。冷たいようだが仕方あるまい。
集中治療室から出されて先ほどの待機場所へ移動し、みなでしばらく待機。
私はもう帰りたかったが、場の行方を見守るしかなかった。
もう叔母はお亡くなりになったので、ご家族以外の人にできることは無い。
葬儀の日取りが決まったら連絡してくれればそれでいいはずだった。
どうして残っていなければならないのかよくわからない。
そんな中、息子さんが「〇〇さん(私の叔父、つまり亡くなった叔母の実の弟さん)は?」と言い出した。
どうやらまだ連絡していなかったらしい。
うちの母親が急いで電話しにいった。
おそらく、母親ともう一人の叔母はすでに連絡がいっていると思っていたんだろうけど、旦那さんがうっかり電話してなかったみたいなんだな。
まぁ、それどころではなかったのだろう。
大切な人が危篤状態でただでさえパニックだ。
影の薄い弟さんは残念ながら忘れられてしまった。
で・・・その結果、弟さんが到着しなければ私も帰れなくなったということらしい。
眠気が失せてきたので危険な兆候だ。
(結局、このあと8時半ごろには帰宅できたのだが、昼過ぎまで眠ることはできなかった)
ご家族はともかく、私らがいったいなんのために残っているのか理解できなかったが、医師からの説明を一緒に聞くとのことらしかった。
この待機時間中に、旦那さんが最初から説明してくれたのだが、思っていたのとだいぶ状況が異なっていた。
叔母は救急車で運び込まれたと聞いていたんだが、それは前日の話でしかもその時は意識はあった。
自宅で急に具合が悪くなって、まず近くの病院へと行って、そこで診断を受けたが他の可能性を考慮して大きい病院を紹介されて、その病院から救急車で移送してもらったらしい。
診察を受けて入院することとなり、深夜に容態が急変して救命措置を開始して「ご家族に連絡を」ということになったようだ。
まぁ、この時は私の頭はろくに回っていないが、そう大きく間違ってはいないと思う。
このあと医師の説明をみなで聞いたが・・・
(医師は司法解剖するようにご家族たちを誘導している)
司法解剖を行わないのであれば警察の検視官?に調べてもらうことになる?
そんなことを言うものなのか。
私は不思議に思ったが法的なことはわからないし、状況も断片的にしか把握できていないから黙っていた。
医師の思惑通り、司法解剖するという方向へと進んでいった。
最後に叔母にお別れをみなでして、ようやく帰れることになった。
ちなみに忘れられていた叔父はこのお別れ中に無事に到着した。
で、帰宅してシャワーをあびてから軽く食べて、ちっとも眠くないのでてきとーに遊んだのち・・・
昼過ぎにようやく眠りにつく。
16時頃に目覚めて「やれやれ今夜は眠れないだろうな」とぼやくはめに。
すっきりした頭で色々と考え始めた。
母親にも意見を聞いた。
「あの医者、司法解剖するように誘導してたよな?」
「うんわたしもそう思った」
「俺はびっくりしたんだけど、あの場にいた家族全員が司法解剖するって考えだったろ?どうせ生き返らないのに解剖するのか?医師からの誘導があったとはいえなんか価値観がおかしくないか?」
「どうしてそうなったのかはっきりさせたいんだろうね」
「うーん・・・」
この時はこれで済んだ。
医師が司法解剖を勧めるのは、今後の医療に役立てるためのサンプルが欲しいのかなということで、弱っている家族達の思考を誘導するやり方はともかく、別に悪いことではないのかもなとなんとなく納得した。
で、それから数日後の今日になってまた別の考えが浮かんできた。
今回のケースで医者がもっとも恐れることってなんだろう?
それは叔母が亡くなった原因が、医師の判断ミスだと疑われて追求されることだ。
判断ミスが医療ミスになるのかどうかわからないが、家族からそう疑われた場合にその証拠がでてしまうのは致命的だろう。
その証拠は叔母の体内にしか存在しない。
ふとそこまで考えてゾッとした。
入院したその深夜に容態が急変、救命措置をするも数時間後に死亡。
難しい状況だったことは理解できる。
診察をしたとはいえまだ情報は少ない。
入院してもらって体の調子を整えつつ、経過を見ながら詳しく調べる。
・・・つもりだったがその前に急変してしまった。
何が起きたのか推察していくつかの対処法から心臓マッサージを選択。
別の方法だったらどうなっていたか?
この時はこうするのが最良と決断してそれを実行する。
勇気が必要だし、良い目も悪い目もあるのはわかりきっている。
うん・・・仕方ないのか。
どの選択肢でも良い目、悪い目はある。
ミスかどうかはともかくしゃーない。
このへんはどうでもいいわ。
私がゾッとしたのは、自分達の息がかかった解剖医に解剖させるのと、警察の検視官に調べてもらうのとどっちが医師にとって都合が良いのかって部分だ。
すでに司法解剖は済んでしまったので真相は闇の中だが・・・
それがどうであれ叔母が生き返るわけではない。
これについて考えるのをやめよう。
もうどうしようもない。