お金はとても便利なもの。
本当にそうだろうか?
資本主義の社会では、お金を稼ぐために大声で嘘八百を並べることが黙認されることもよくある。
嘘を指摘すると「余計なことを言うな」と異端視、(ひどい時は)敵視され、疑問を投げかけたら他の嘘や誤魔化しで返されることも珍しくない。
でも嘘はいずれバレる。
それがいつになるかまではわからないが、白日のもとに晒される日が来るんだ。
嘘を並べることで守ろうとしてきたすべてのものが破壊されることになる。
お金は残るかもしれないが、社会的信用は0となり、そこからお金を稼ぐことは難しくなってしまう。
そして信用を取り戻すのはお金を稼ぐことよりも大変だし時間もかかるだろう。
それまでやってきた嘘を軸とした手法の多くはほぼ使用できなくなる。
その時、いったいどうするつもりなのだろうか?
心配ではあるができることは無い。
私は無関係なところから見ていることにする。
巻き込まれるのはごめんだ。
それにしても、ちょくちょく良いお手本が出現するというのに、みんな同じことをするよな。
お金のために行動してせっかくの信用を台無しにしちゃうんだ。
途中で修正する機会が無いわけではないから、上手に挽回していくこともできるかもしれないけどさ。
それって最初から嘘をつかずにコツコツ積み上げていく道よりもかなり厳しい。
大きな目標であればあるほど難しい舵取りが必要になるだろう。
あんな巨大なもののバランスが取れるのかどうか見ものではある。
破壊される瞬間を見ることになるのか、それとも・・・?
気の毒なのはその恩恵を受けるわけでもないのにただ巻き込まれる形になる人達だね。
過去からのしがらみやら何やらで色々と仕方のない部分はあるんだろうけれども、分不相応な肩書がそもそもの原因だろう。
カエルはカエル。ジャンプすることはできても鳥のように空を飛ぶことはできない。
自分に合った水場で暮らしていくのが、結局はもっとも幸せなんじゃないのかな(^_^;)