雀鬼がどこかに書いていた「それでは動きの無い麻雀になってしまう」という言葉。
逆の言い方なら、動きのある麻雀のほうが良い(強い)ってことになる。
この ” 動き ” ってのは、たとえば、
④⑤ と持っているところに④を引いたら④④、または④④④の形で使ったほうがいいよ。って感じの意味合いなんだ。つまり、いったんは④④⑤の形にして保留しておくにしても、⑤を切っていきたいという感じ。(絶対に⑤を切るというわけではなく、手役の都合上は④を切って両面に受ける場合ももちろんある)
逆に④④と持っているところに⑤を引いたらなるべく両面で使ったほうがいいよ、ってこと。
先にあった形より、変化をうながすような動きを(なるべくなら※)活かそうとする、みたいな?
これを意識したうえで麻雀を打っていると、効率だけの麻雀では出会えないような不思議な場面をちょくちょく見ることができる。
※このへんのさじ加減がとても難しい
さっき私は、対面からリーチがかかって、六六七のうちからどれかを切れば断么九ドラドラのテンパイという場面で、迷わずに七を捨ててシャボ待ちに受けた。
これは六七と持っているところに六を持ってきて出来た形だったからそうしたんだ。
牌効率を重視するなら当然ながら両面に受けるところ。
でもこれはシャボのもう一方(二萬)で出上がりして3900点+リー棒やら積み棒やらもらえる好結果に結びついた。
そして、あとで牌譜をチェックしてみたら、結果的にこれが勝負の決め手となったと言っていい。
なぜなら六を切っていたら一発で対面の満貫以上の手に振り込んでいたからだ。
この次局からなんとなく流れに乗り始めたし、牌効率を無視してあえてシャボに受けるという(一見はおかしな)判断がファインプレーとなったんだろうね。
こういうのはツキや流れを見ようとしていない人たちにはできっこないし、彼らは試そうともしていない。
だまされたと思って試しにやってみるとけっこう面白いと思うんだけどな。
これ、麻雀プロたちの多くにも同じことが言えると思う。
牌効率や確率論を重視するのはもちろんわかりますが、ツモの流れとか伸びを意識してみると様々なことに気がつくことができるはずなんですよ。
でもプロアマ問わずほとんどの人たちが、確率や効率に縛られた判断しかできないような打ち方をしている。
雀鬼の言葉をお借りするのであれば、「動きの無い麻雀を打っている」ということだ。
まぁ・・・どうせ試してみようという人はごくごく少数なんでしょうけどね(-_-;)
もったいないよねぇ。
伝説の雀鬼がわざわざ下々のほうへ自分から降りてきてくださって、私ら有象無象な弱い存在にものすごい道を示してくれたってのにさ。
このままじゃ消えちまう・・・