叔母の葬儀は無宗教葬という形でおこなわれた。
坊さんを呼ばずに二日間にわたって。
仏教の形式なら通夜と告別式ということになるが、今回はどんな名称だったのかよくわからない。
でもおこなわれたことは、1日目は「納棺」であり、2日目は棺の中に祭壇の花を入れたりする「お別れ会」※と同じようなものだった。
※うちのあたりではそう言われることが多い。
どちらも食事は出されなかったし、ただ単に坊さんの読経を省いただけで、ほとんど仏教形式の葬儀と言った感じ。
うちの母親は葬儀が終わってから、色々と文句を言っていた。
戒名ももらえないのかとか、普通にお坊さん呼べばよかったんじゃないのかとか・・・
ま、しょうがないわな。
他家のことなので外野が口出しするわけにもいかない。
おそらく金銭的な理由でお坊さんを呼ばないということになったのだと思う。
叔母の家は叔母が多く稼いでいたらしいが・・・
旦那さんはダメージが大きく何も考えられないような状態っぽかったし、子どもたち(つまり私の従兄弟たち)で話し合って決めたのだろう。
仏教形式の葬儀しか参加したことが無いので、今回はいい経験をさせてもらったとは思う。
死んだあとのことは誰にもわからないから、葬儀がどんな形でおこなわれようが、読経も戒名も無しならどうなるのかとか私らにはわからない。
お坊さんたちは「ちゃんとやったほうがいいですよ」と言うだろうけれども、それが本当に正しいかどうかはわからない。
とはいえ、私(というか当家)の場合は、先祖代々いつからかわからんけどとあるお寺(浄土宗)の檀家としてご先祖様を供養してきた過去があり、私の代で勝手に停止するわけにもいかない。
だから真実がどうであれ、うちは仏教形式でおこなうことになるだろう。
私の代でこの家も終わりっぽいから、永年供養のこととかもぼちぼち考えなくちゃいけない。
まぁいいや。
お別れ会の焼香の時、お坊さんがいないならせめて私だけでもと思いながら、心の中で南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と唱え続けさせてもらった。
浄土宗の教えは「どんな人間でも南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土に連れて行ってあげますよ」というシンプルなものだ。
雀鬼流の厳しい考え方が好きな私としては、他力まかせという点がすこし気にはなるのだが、学問と縁のない農民などにもわかりやすいやさしい教えの宗派だ。
なんとなく、ごちゃごちゃしていたような叔母のまわりを考慮すると、ちょうどいい宗派なんじゃないかなと思った。
私が勝手に唱えたところでそれがどうなるかなんて知らん。
ただ叔母の迷惑にならなければいいと願うのみ。
無宗教葬sだったわけだから、四十九日の法要などもおこなわないのだろうし、納骨もまだお墓があるわけではないからどうなるのか不透明。
もしかすると私が叔母とかかわるのはもう最後なのかもしれない。
さすがに実の姉である母親は納骨に立ちあう形になると思うが・・・これもどうなるかわからんからなぁ。
私は宗教を真面目に信じているわけではないけど、てきとーにやってあとで大変なことになったりするのもいやーんなので、一応はできる範囲で真面目に取り組むようにしている。
私一人のことで済むだけだったらいいんだけど、おそらくご先祖さま達も巻き込むだろうから。
顔も知らん人ばかりだけど私が13代目なので、きっと100人どころじゃないはず。
おっちんでから全員にクレームつけられたりしたらかなわんしなぁ。