自分が「読める」ようになった時の話

麻雀の「読み」って難しいものですし、はっきりとした答えを導き出せることは珍しいので、身につけようとしてもなかなかうまくいかないというのが一般的なんじゃないかなと思います。

はっきりとした答えを出したい人は、どうしてもスジや現物に頼ろうとしてしまいますから、ある種のスキを作る姿勢になりがちでみな一様に同じような欠点を持ってしまう格好になる。

以前の私も多くの人達と同じようにそうやって弱い麻雀の道へと入ってしまっていました。

 

捨て牌を読むことはほとんどできず、スジや現物に頼りベタオリしまくって・・・本当に情けない麻雀でしたわ。

でも雀鬼流という強い麻雀に出会い、攻めまくる楽しみを取り戻し、周囲から一目置かれる程度には(ささやかではありますが)打撃力と爆発力を身に着けた頃・・・実はこの頃もまだ捨て牌をろくに読めていないんですよ。

 

いくら捨て牌を見てもさっぱりわからねーし、いや、まぁ、染め手ぐらいはさすがにわかっていましたけど、この当時は捨て牌を見るくせというものがついていないので、振り込んでしまってから気付くという感じでした。

でもいっぱい振り込んじゃったとしても、それ以上に攻めまくって大きく稼ぐという方向性を目指していたので、そもそも読み自体に興味を持てなかったんです(^_^;)

 

そんな私が、ある時、突然に「この北は危ない」とはっきりと読めた瞬間がありました。

そのある時とは、雀鬼流道場の町田店(移転前のお店)で遊ばせてもらっていた時です。

なぜか下家の七対子がはっきりとわかりました。

 

この時の私は、もちろん(?)捨て牌なんて読んでいません。見ていた(というか ”かろうじて視界に入っていた”)とは思いますが、絶対に何も考えていません。・・・ていうか2秒以内に切らなければいけませんのでそんな余裕ありません。

でもどういうわけかバシッとそれが当たり牌だというのがわかったんですよ。

 

その後、そういう瞬間がたびたび現れるようになりました。

「あ、対面は下の三色やってるな」とか「あそこにドラの暗刻がある」とかなぜかわかるんですよ。何も考えていないのに(^_^;)

ただし、この現象は道場で遊ばせてもらっている時だけです。仲間内で打ってる時には発生しないし、ネット麻雀でもそういうことは経験できませんでした。

当時はなぜなのかさっぱりわかりませんでしたが、「考えていないからこそはっきり気付くことができるんだ」というのが今の私ならわかります。

 

頭で考えて答えを出すというのは、「下手な考え休むに似たり」ということなんだろうということです。

考えるよりも先に体が動く。そしてそのために必要な情報処理は自分の感覚が勝手にやってくれる。頭で考えることはむしろその邪魔をするから「考えるな感じろ」ということになるんでしょう。

 

さて、それはわかったけど、ネット麻雀にしろフリーなどで遊ぶにしろ、ペースが遅すぎるからどうしても「考える」ということになってしまう。

早すぎるからこそ何も考えないで済むのであって、遅いを通り越して遅すぎるのであればどうしても考えてしまうだろう。

でも雀鬼流のスピードで打てる場所なんてそうそうあるものじゃない。

 

それに、ブログの記事でそれを詳しく書いたところで、都市伝説レベルの扱い以上にはならないでしょうね(^_^;)

結局、ブログ記事として書くのであれば、読みのロジックはどうしても必要になるし、真に読むケースであっても読みの土台となっている部分はあるだろう。

その領域が自我なのか他の部分なのかによっても話は変わってくるけど・・・うんー、難しいなぁ。

 

まぁ・・・書いてるうちにまた何か気付くかも?

それをあてにしようか。

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